1905年(明治38年)、中国の革命家孫文を中心に東京で中国同盟会が結成され、日本に亡命・留学していた多くの中国人が参加しました。その後、中国各地で中国同盟会による武装蜂起に失敗しましたが、ついに1911年10月10日湖北省武昌の蜂起を機に辛亥革命を成功させ、300年続いた清王朝を打倒しました。当時、神楽坂の周辺には、孫文など亡命革命家や後に革命に身を投じた黄興など清国の留学生が多く住んでいました。
また、神楽坂の周辺には講道館の創始者嘉納治五郎が政府の依頼で建てた清国人専門の日本語学校である弘文学院もありました。この学校では、小説家の魯迅や宋教仁・陳独秀など後に革命家となる多くの留学生が学び、その後、彼らは早稲田大学や東京物理学校(現 東京理科大学)、法政大学など周辺の学校に在籍しました。亡命中の黄興と孫文が初めて出会ったのも神楽坂の中華料理店でした。また、女性革命家秋瑾も弘文学院で学び、神楽坂の武術会で射撃や爆弾製造の技術を学んだといいます。その他、神楽坂にあった高等演芸館でも留学生たちが様々な集会を開いていたようです。
今回は、中国革命の概略と高校歴史教科書に登場する著名な中国革命家について、革命を手助けした宮崎滔天など日本人との交流も含め、神楽坂との関わりを地図や写真を見ながら、当時の中国革命家たちが神楽坂でどういう出会いをして、中国同盟会の結成に至ったかをお話ししたいと思っています。
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