東京遷都の激動期に直面した京都衰退の危機とは。またその危機をどう乗り越えて復興に向かったか、その軌跡を追います。 第一回 明治に入って行われた廃藩置県によって武士の特権は奪われ、士族の反乱が各地で勃発、明治政府は新しい時代の産みの苦しみを味わうこととなります。そんな中、衰退する京都を心配したのが外ならぬ明治天皇でした。
第二回 神仏習合の時代が長く続いた日本において、明治政府は神仏分離令を発令。これによって巻き起こった廃仏毀釈運動は仏教界に大打撃を与え、京都の寺院はもちろん神社にも大きな影響を及ぼしました。
第三回 人口が激減した京都の復興を目指すべく、歴代知事は「京都策」と後に呼ばれる様々な施策を実施。衰退期の京都を見事に蘇らせただけでなく、全国から注目を集める産業を生み出していったのです。
第四回 京都は、日本の将来は教育にかかっていると見定め、全国に先駆けて小学校の設立に尽力し、学校も市民の手によって建てられました。これらの誇れる足跡と、現在までの学校の歴史を通覧します。
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