コーディネーター 高祖 敏明 学校法人上智学院理事長、上智大学総合人間科学部教授
講師
石井 窓呂 永青文庫学芸員
田端 泰子 京都橘大学名誉教授
五野井隆史 東京大学名誉教授
細川佳代子 NPO法人勇気の翼インクルージョン2015 理事長
公益財団法人スペシャルオリンピックス日本 名誉会長
細川家第18代当主夫人
細川ガラシャ(本名細川玉あるいは珠)は、戦国時代の武将である明智光秀の娘で、織田信長のすすめにより、細川忠興に正室として嫁いだ。父の光秀が起こした本能寺の変により「逆賊の娘」として一時幽門の身となる。その後、大阪にあった細川忠興の屋敷に戻ったが、逆境の身に置かれた玉は、豊臣秀吉によるバテレン追放令で、キリスト教徒に対する迫害が始まろうとしている時に、密かに洗礼を受けてキリシタンとなり、洗礼名「グラツィア=ガラシャ」を受けた。
関が原の戦いにおいて、細川忠興が東軍についたため、西軍の石田三成は、東軍方についた細川忠興の屋敷に残っていたガラシャを人質に取ろうとして屋敷を取り囲んだ。しかし、ガラシャは夫の武名を守るために人質となることを拒絶し、自殺を禁じるキリスト教の教えにしたがい、家臣の手により自らの命を絶った。その際、ガラシャは、辞世の句として、「散りぬべき時知りてこそ世の中の花も花なれ人も人なれ」を詠んだと今に伝えられている。
戦国時代の歴史の大きな渦に巻き込まれ、壮絶な最後を遂げた細川ガラシャは、多くの映画や文芸作品に取り上げられている。ヨーロッパにおいても、ガラシャの最後は、イエズス会の宣教師から殉教の実話として本国に伝えられ、1696年には、細川ガラシャをモデルとした音楽付の戯曲「勇敢なる貴婦人」が、オーストリアのハプスブルク家のために上演されている。上智大学は、創立100周年記念事業の一環として、この音楽付の戯曲「勇敢なる貴婦人」を復元して、バロックオペラ「勇敢なる貴婦人−細川ガラシャ−」として、本年12月に東京で、翌年1月に京都府長岡京市で上演する。
本講座では、細川ガラシャについて、日本中世の女性史やキリシタン史の観点からその実像に迫るとともに、細川家に伝来する数々の文化財から細川ガラシャに由縁のある品々を紹介する。また、細川家の子孫である細川家第18代当主夫人から、細川ガラシャの生涯の現代的意義を語っていただく。